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東京高等裁判所 平成8年(ネ)3245号 判決 1999年5月31日

控訴人兼附帯被控訴人(以下「控訴人」という) 国

右代表者法務大臣 陣内孝雄

右指定代理人 中垣内健治

<他4名>

被控訴人兼附帯控訴人(亡相田健二訴訟承継人)(以下「被控訴人」という。) 相田洋幸

<他1名>

右両名訴訟代理人弁護士 横山哲夫

同 吉沢寛

主文

一  本件控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

三  控訴人において、被控訴人らのため、全部で金一〇〇〇万円の担保を供するときは、原判決主文第四項に係る仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  平成八年(ネ)第三二四五号損害賠償請求控訴事件

1  控訴人

(一) 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

(二) 被控訴人らの請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

2  被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

二  平成八年(ネ)第五〇四六号附帯控訴事件

1  被控訴人ら

(一) 原判決中、被控訴人ら敗訴部分を取り消す。

(二) 控訴人は被控訴人ら各自に対し、原判決主文第一項の認容額に加え、更にそれぞれ金一六〇〇万円及びこれに対する平成三年六月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 附帯控訴費用は、控訴人の負担とする。

2  控訴人

本件附帯控訴を棄却する。

第二事案の概要

本件の事案の概要は、次のとおり訂正するほかは、原判決書の「第二 事案の概要」(原判決書三頁八行目から三三頁八行目まで)の記載と同一であるから、これを引用する。

一  原判決書三頁八行目から四頁二行目まで(「一」の項)を次のとおりに改める。

「一 本件は、脳動静脈奇形(arteriovenous malformation、以下「AVM」という。)の全摘手術に関する医療過誤事件である。

被控訴人らの長男である相田健二(以下「健二」ということがある。)は、昭和四八年(満五歳)ころから左半身麻痺等の症状が出始め、昭和四九年一〇月には東京女子医科大学付属病院において大型のAVMと診断された。同年一一月に国立相模原病院(本件病院)で受診し、以後五年余にわたってAVMの経過観察と投薬治療を受けた後、昭和五六年六月にその全摘手術を受けたが、予後不良であり、かえって術前よりも重篤な障害が残ったとして、平成三年五月に証拠保全の申立てをし、平成四年一一月一八日に同病院を開設する控訴人国に対し、不法行為又は診療契約に基づく債務不履行を理由として損害賠償請求の訴えを提起した。

本件が第一審係属中の平成五年七月三一日、健二は、誤って自宅の浴槽に転落して全身に火傷を負い、そのショックのため、数時間後の同年八月一日、二五歳で死亡した。そこで両親である被控訴人らが訴訟を承継した。

原審は、健二のAVM治療のためその全摘手術を選択したことについての担当医師らの過失を否定し、また、手術に際しての術前検査も十分であったとして、この点に関する被控訴人らの主張を排斥したが、手術に際して、健二や被控訴人らに対して、自己の責任において治療方法の選択をするための手術の危険性等についての説明が不十分であったとして医師らの債務不履行を認めた。右債務不履行による損害としては、手術によって生じた障害や死亡による損害と右説明義務違反との相当因果関係はないとした上、医師らの不十分な説明のために自己の権利と責任において治療方法ひいては自らの人生そのものを決定する機会を奪われたことによる健二に対する慰謝料一六〇〇万円(被控訴人らにつき各八〇〇万円)と弁護士費用二〇〇万円(被控訴人らにつき各一〇〇万円)の損害を認容した。

そこで、控訴人が控訴し、また被控訴人らも敗訴部分の一部を不服として附帯控訴したものである。」

二  原判決書一二頁末行の「担当医師らには」を「担当医師らは」に、二四頁五行目の「同年一〇月四日」を「同年一〇月一四日に」、二八頁五行目の「招ずる可能性」を「生ずる可能性」にそれぞれ改める。

第三争点に対する判断

一  本件手術に至る経緯について

本件手術に至るまでの経緯等についての当裁判所の認定判断は、次のとおり訂正又は付加するほかは、原判決書の「第三 争点に対する判断」中の「一 本件手術に至る経緯について」(原判決書三三頁一一行目から五四頁七行目まで)の記載と同一であるので、これを引用する。

1  原判決書四六頁二行目の「及び内大脳動脈」を「及び内大脳静脈」に改める。

2  原判決書四六頁四行目の末尾に「そこで、松森医師は、今後の外来診察の結果をみて、手術を検討したほうがよい旨の説明をした上で健二を退院させた。」を加える。

3  原判決書四六頁末行から四七頁初行にかけての「生命の危険もあると考えて、五月末に入院するよう指示した」を「従来どおりの外来通院での投薬治療のみでは生命の危険もあると判断し、手術を念頭に置いた再入院を勧めた」に改める。

二  争点1(健二のAVM治療のため、本件手術を選択した点につき、本件病院の担当医師らに過失があったか否か。)について

控訴人らは、健二のAVMについては、予後の悪くない非出血性の大型AVMで、脳の三葉部にわたり、本件手術の際に生じた脳の出血や脳の膨張現象も本件病院の担当医師らには予測できたから、手術のために重大な後遺症を生ずる可能性が高く、手術適応になかったと主張するので、以下検討する。

1  前提とすべき事実

(一) 健二のAVMは非出血性AVMの範疇に属すること

健二のAVMのナイダスの大きさが前後五七ミリメートル、上下七〇ミリメートルに及ぶラージAVMであることは、当事者間に争いがなく、甲一六によれば、健二のAVMについては明確な出血巣の確認はされておらず、主訴は痙攣性のものであったから、いわゆる非出血性(非破裂性ともいう。)AVMの範疇に属するものであったことが認められる(なお、《証拠省略》によれば、別府医師は、昭和五六年四月二八日の診察時に、健二の左足関節の強剛痙性が認められ、足関節の屈曲制限及び伸展制限が認められたこと等からAVMの小出血を推定したことが認められるが、この小出血は、臨床的には出血は明らかでないがCTあるいは手術所見により小出血が発見されるいわゆるsilent hemorrhage(潜在性出血)現象を推定したものであって、本件AVMが非出血性AVMの範疇に属するものであることを否定するものではない。)。

(二) 健二のAVMは右脳の二葉に拡がるものであったこと

《証拠省略》によれば、本件手術時の健二のナイダスは、前後径五七ミリメートル、上下径七〇ミリメートルで主に右前頭葉運動領、右頭頂葉知覚領に拡がっており、深部は脳梁にくさび状の形で至っていたものであること、導入動脈は右前大脳動脈、右中脳動脈及びこれらから派生した脳梁辺縁動脈等であり、導出静脈は皮質静脈(上矢状洞、ラッベ静脈及び内大脳静脈)であることが認められる。もっとも乙二(二頁)や乙五(一七頁)には、「前頭、側頭、頭頂にかかる」との記載があり、乙七(松森邦昭の陳述書)には、昭和五六年一月の検査入院の際の記述(六頁)として「右前頭葉及び頭頂葉に拡がっている」としつつ、同年六月の手術前の検査の記載(九頁)には「前頭葉及び側頭葉に広く拡がっている」との記載があるが、これらは、AVMの導入動脈や導出静脈を含めた病変部の及び範囲として三葉部を記載したものとみるのが相当である。そうすると、健二のナイダスの形態は、右前頭葉運動領、右頭頂葉知覚領に拡がり、深部は脳梁にくさび状の形で至っていたものであり、ナイダス自体が右脳の三葉にまたがるものであったとまでは認めることができない。

(三) 本件手術時の出血の経過と性質

《証拠省略》によれば、本件ナイダスの摘出は、顕微鏡下手術の方法によりまずナイダス周囲の脳切開から始め、ナイダスの分離操作の経過で遭遇する流入動脈を順次切断するという方法で行われたこと、本件手術においては、ナイダス摘出後脳梁部分からの出血が止まらず、止血に難渋するうちに周囲脳の急性膨張を来し、健側脳内よりも動脈性出血を生じたことが認められる。

ところで、手術執刀医の松森邦昭は本件脳深部からの出血原因をAVM摘出に伴い、大型の動、静脈短絡を遮断することによる脳の他の部分の血行動態の変化が原因と推定されるいわゆるノーマル・パフュージョン・プレッシャー・ブレイク・スルー(以下「NPPB」と表示する。)現象としているが(松森第二回調書八一頁)、助手として手術に立ち会った宮坂医師は、「手術中にみられた脳腫張は手術中に出血が深部の脳室を充満し、脳腫張が起こった可能性が一番強く、NPPBは否定できないが、まだAVMが残っている時なので、断定はできない。」としている(乙二一の二の五枚目)。

また、当審で控訴人側から提出された札幌医科大学脳神経外科教授端和夫作成の鑑定意見書(乙二九)は、

「本件患者は大型の病変で、手術は一期的に行われており、NPPB発生の条件を充たしている。手術記録によれば、出血はナイダス摘出後に生じ、また摘出操作が及ばなかった脳表血管からも起こっており、これら(は)NPPBの場合の病像と矛盾しない。ただ、本件患者のナイダスの摘出は、まずナイダス周囲の脳切開から始め、流出静脈を一部切断してナイダスの分離操作を進め、その経過で遭遇する流入動脈を順次切断するという古典的な方法で行われており、現在の脳AVMの手術法の原則、すなわち流入動脈をまず可能な限り完全に遮断してからナイダスの摘出を進め、流出動脈は最後まで温存するというものとは多少異なっている。このような操作で行われる手術ではナイダスの摘出に際する出血が多く、術野の明瞭度を欠くため大型の病変ではナイダスの取り残しが生じる可能性があり、手術記録にある脳梁付近の深部からの出血は少し残存したナイダスからの出血である可能性も無いわけではない。しかし、この場合においても出血の程度には、大型の動静脈短絡を遮断したことによる血行動態の変化が関与していることには変わりはなく、その機序はNPPBと共通するものといえる。」としている。また、同意見書(九頁)では、「本件患者の手術には古典的な摘出法が行われており、現在の手術技術の基準から考えれば適切なものとは言い難い。(中略)しかし、本件患者のような大型症例を、このような操作で一期的に摘出した場合、本件で見られたような出血に遭遇することはほぼ確実であろうと思われる。」との記載もある。

以上を総合すると、本件手術の際に起こった脳深部からの出血とこれに伴う脳膨張、健側脳内から起こった動脈出血などは、大型の動静脈短絡の遮断をしたことから脳の他の部分に血流動態変化が生じいわゆるNPPB現象が生じたことが主因とみるのが相当であるが、ナイダス摘出手術の過程での出血又はナイダスの一部取残し部分からの出血もあった可能性を否定できず、これらの出血とNPPB現象等による血流動態変化に基づく出血や脳膨張が併存的に生じたものとみるのが相当である。

そして、大型AVMでは流入動脈・流出静脈の相互関係がより複雑となるため、手術操作過程での出血やAVMの取り残し部からの出血の危険がそれだけ増大することは事の性質上当然予想されるところであるし、本件担当医らもこれらによる出血の危険の認識はあったとみられるが、後記のように、大型AVMの手術過程での血流動態の変化に基づくとみられる出血や脳膨張については、文献的には昭和五三、四年にドレーク、ミューラン、ウイルソン、スペッツラーら外国学者により発表されているものの、大型ナイダス摘出の手術適応を考慮する際の危険性とりわけ独自の危険因子としてNPPB現象等の認識が我が国で一般化したのは、昭和五〇年代後半から昭和六〇年代はじめにかけてであるとみられる。

2  以上の前提事実を下に、健二のAVMの手術適応について判断を進める。

本件手術が行われた昭和五六年(一九八一年)当時における脳AVMの手術適応に関し、当事者双方から提出された文献記載を経年的にみると、次のとおりである。

(一) 昭和五〇年(一九七五年)・虎の門病院脳神経外科相羽正「運動・知覚領、言語領の脳動静脈奇形の外科 特にその手術適応について」(第四回脳卒中外科研究会講演集・七〇頁)(乙二五の一)

「脳動静脈奇形の手術適応が、そのnatural historyに基づいて決定されなければならないことは言うまでもないが、最近の(一九六五年から一九六七年にかけて発表された文献、中略)等の研究は、いずれも本症の予後が比較的良好であることを示している。すなわち、初回出血による死亡率は一〇%未満にとどまり、再出血をきたす頻度は二三~三四%であり再出血による死亡率はせいぜい一二~一三%に過ぎない。しかも、再出血を含めすべての出血発作からfull recoveryし得る症例は六〇~七〇%に達する。従って、破綻出血によりlife threatening hematoma(命を危うくするような血腫)を形成した場合には、救命を目的として絶対的手術適応を生ずるが、これを除くと、再出血の防止を目的とする場合でも、神経症候の進行性増悪や薬物療法に抵抗する痙攣発作の防止を目的とする場合でも、手術により取り返しのつかぬ重篤な神経機能の脱落を招かないという場合にのみ、手術適応を生ずると考えるのが妥当であろう。」「手術適応の決定が最も微妙なのは、運動・知覚領、言語領、優位側頭頂・側頭葉などのvital cortical areaにあるものと小脳の脳動静脈奇形である。」「以上の手術成績、特に手術による神経症候の増悪ないし発現とその経過の特徴から、vital cortical areaに存在ないし伸展する脳動静脈奇形に関しては、次のような場合を手術適応と考えるのが無難ではないかと考えている。すなわち、(1)五〇歳未満の症例で、(2)出血発作の既往がある症例。特に出血発作の反復するものでは、一層手術適応を生ずる。(3)言語領、運動・知覚領に局在する場合は奇形容積で一五立方センチメートル(くるみ大~亜鶏卵大)までのもの、これらの領域に進展するextensive AVMでは、脳血管撮影像の上でarteriovenous coreの境界が鮮明で、かつ基底核部へ伸展していないもの、等である。」

(二) 昭和五三年(一九七八年)・貫井英明ら「脳卒中の成因、脳動脈瘤・動静脈奇形」(内科Mook No1」・八九頁)(甲一七)

「脳動静脈奇形に対する外科的療法の適応は十分慎重でなければならない。なぜなら、本症は脳動脈瘤と異なり、出血の頻度は少なく、その程度も軽く、予後が良好であり、外科的療法によらなくても六〇~八〇%の症例がほぼ正常な日常生活を営み、生命を全うするからである。脳動静脈奇形に対する外科的療法の適応としては、そのまま放置すれば生命に危険をおよぼしたり、重篤な神経機能脱落症候をきたすような大きな脳内血腫の合併がまず第一の適応で、手術の絶対適応とされている。…大きな脳内血腫を合併しない場合には、外科的療法の相対的適応のみが存在するわけであり、以下のごとき症例がこれに入る。(1)くも膜下出血を生じた例、特に出血発作をくり返している例。(2)薬剤でコントロールできない痙攣発作を有している例。(3)臨床症候の進行性増悪を示す例。…以上のごとき臨床症候の面からの相対的適応が存在する場合には、さらに手術によって術後新たに重篤な臨床症候を残さないか否かを十分検討する必要がある。この際問題となるのは動静脈奇形の局在と大きさ、境界鮮明の有無及び流入流出血管の状態等であり、特に動静脈奇形の局在が問題で、大脳基底核、間脳、脳幹等に存在する動静脈奇形および両側大脳半球や片側でも3葉以上にまたがるものは一般に手術適応がない。しかし近年低体温、低血圧や流入主幹動脈の一時的血流遮断等の補助手段を利用し、手術用顕微鏡下に手術を行なうことにより、周囲脳組織の損傷を最小限にとどめ動静脈奇形の全摘出を行うことができるようになり、外科的療法の相対的適応の範囲が拡がっている。」

(三) 昭和五四年(一九七九年)・半田肇「脳神経外科学」(六三〇頁)(甲一八)

「脳動静脈奇形が破裂せず痙攣発作その他の神経学的症状のみを主徴とする限りは外科的治療の適応は、病変の部位、手術に予想される脱落症状と現在の患者の有する症状の対比、繰り返し起こるくも膜下出血、痙攣発作に対する薬物療法の効果の有無、精神症状の進行の有無などを慎重に検討して定めるべきであるが、動静脈奇形が脳内に破れて血腫を形成し、脳圧迫症状を呈した場合は、状態の許す限り、早期に血腫排除を行うべきことはいう迄もない。脳動静脈奇形を放置したときの予後について…報告によりかなりの差がある。Poolによると…手術群の方が優れており、積極的に手術をすべきであると主張している。一方、Svien&McRaeは…脳動静脈奇形の八〇~八五%は保存的療法で十分であると述べている。いずれにしても、非手術例の死亡率は一〇~二〇%の間にあることは事実であり、手術用顕微鏡の導入以来、摘出手術が飛躍的に進歩し、手術死亡がほとんど考えられなくなったことを考えると、現在では脳動静脈奇形は原則的に手術をすべきである。…たとえ大きな動静脈奇形であっても、前頭葉、あるいは後頭葉にあるもの、非優位側の側頭葉にあるものは可能である。…なお、手術適応に当っては、次のことも念頭におく必要がある。(1)子供の場合は、運動領、知覚領にあって手術しても、神経脱落症状からの回復力は大人に比しはるかに大きい。…(3)脳動静脈奇形の中にある脳組織は恐らく正常には機能していない。したがって、動静脈奇形に含まれる脳組織は除去しても新たな脱落症状の出現の可能性は少ない。(4)深部の脳動静脈奇形ではすでに出血による神経脱落症状のある場合を除いて、手術によって脱落症状が新たに出現する危険が大きい。したがって、手術には特別の工夫を要する。(5)無症状で血管撮影で偶然発見された脳動静脈奇形や、けいれん発作を唯一の症状とし、しかも抗けいれん剤によってコントロールされている場合などは、手術の適応は特に慎重を要する。」

(四) 昭和五六年(一九八一年)・川渕純一ら「脳動静脈奇形の脳循環動態と手術適応」(日本脳卒中学会機関誌「脳卒中」第三巻四号・一三六頁)(甲二〇)

「従来多くの報告が示しているようにAVM症例の予後は比較的良好であるため、外科的治療の適応を決定するには充分慎重でなければならない。…まずAVMに対する手術適応の第一は、そのまま放置すれば生命に危険を及ぼしたり、重篤な神経症候を来すであろう大きな脳内血腫の合併である。…それ以外では手術の相対的適応が存在する訳であり、この際には臨床症候面および手術の技術面からの検討が必要である。手術適応決定に際し最も重視すべき臨床症候は、高率に神経症候を伴い、脳血流低下を来し、放置すれば半数に再出血を生じ、より重篤な神経症候を呈するAVMからの出血である。また痙攣は同時に出血を伴っている可能性が最近示唆されていること、および長い間に出血を生ずる可能性があることから、痙攣のみの例でも相対的手術適応があるといえる。結局AVMの手術適応を考える上で最も重要なのは出血、再出血の防止ということであり、AVMを通じて多くの動脈血が短絡し、周囲脳組織が慢性乏血に陥入ると仮定して、AVMの存在そのものが手術適応であるとする従来の考え方は、出血がない限り脳循環動態の面からみても妥当でないと考えられる。臨床症候からみて手術の相対的適応がある場合には、術後新たに重篤な神経症候を残さない様、手術の技術面よりもう一度検討する必要がある。この際患者の年齢、全身状態、臨床症候を充分検討し、特に再出血を来す頻度の高い若年者では積極的に手術を考慮する。手術の技術的難易度に影響を及ぼすのは、AVMの局在、大きさ、限局性、流入流出血管の状態であるが、まずAVMの局在に関しては、大脳半球に存在するAVMは再出血を生ずる率が高いため、たとえ運動・知覚領や言語領にあっても全摘を試みる必要がある。…しかし大脳半球にあっても両側に及ぶものや片側でも3葉以上にまたがる例で全摘術の適応はなく、大脳基底核、間脳、脳幹などに存在するAVMも全摘は危険である。」

(五) 昭和五九年(一九八四年)・落合慈之・「脳動静脈奇形の自然経過」(「脳動静脈奇形の治療」昭和五八年第二回ザ・マウント・フジ・ワークショップ・オン・CVD講演集一九頁)(甲三六の二)

「種々の脳神経外科的疾患の中でも脳動静脈奇形(AVM)はその手術適応について最も議論の多い疾患と言えるであろう。いかなる疾患であっても手術的治療を行う場合には、手術自体に伴う危険が疾患自体の自然経過に伴う危険より小さいことが前提となるべきであるが、AVMについてはそれらが、未だ、十分明らかではないからである。過去に、自らの症例を手術群と非手術群について成績比較をする中で、AVMの自然経過や長期予後に触れた報告は少なくない。しかし、報告の多くは、元来、手術的治療を指向する施設からのものであり、以下に引用したTrouppに代表されるように、保存的治療を指向する立場からの批判を避けられないのが現状である。」として、てんかんで発症したAVM(三八例)について出血の可能性をAVMの大きさにより検討したところ、ナイダスの最大径が二センチメートル以上の中又は大AVMで、てんかんで発症した症例(二八例)では、発症二年以降に出血を生じる可能性の極めて低いことを示す(一割以下)と報告している(同論文二四頁)。

(六) 昭和五九年(一九八四年)・竹前紀樹ら「Motor or speech areaのAVM」(前記第二回ザ・マウント・フジ・ワークショップ・オン・CVD講演集三七頁)(乙二五の二)

「脳動静脈奇形は、その自然経過の予後が、破裂脳動脈瘤のそれと比較して比較的良好であること、また、手術的治療では、重篤な神経脱落症状を伴うことが予想されるものがあることなどから、脳神経外科医個人個人により、手術適応が決定されている疾患といえよう。…Motor or speech areaのAVMは、術後に片麻痺、失語症という重篤な神経脱落症状を呈する可能性がある部位なので、手術的に難しい部位のAVMといわれている。しかし、最近はマイクロサージェリー等の脳神経外科の手術の進歩に伴って、この部位のAVMに対して、積極的に手術が行われるようになってきた。」

3  当審で提出された北里大学医学部脳神経外科助教授宮坂佳男(本件手術に助手として立ち会った。)の意見書(乙二一の二。以下「宮坂意見書」という。)では、昭和五六年当時におけるAVMの手術適応等について、

「昭和五〇年にAVMを主題として「第四回脳卒中の外科研究会」が開かれ、その中で、大きなAVMの手術成績は悪いという報告が三つほどある(虎の門病院脳神経外科相羽正、神戸大学医学部脳神経外科玉木紀彦ら、北海道大学医学部脳神経外科佐藤正治ら)。しかし、その時代の手術は肉眼手術と顕微鏡手術が混じっており、大きなAVMの手術成績が悪い原因として、当時報告された手術は健二に対する手術のように顕微鏡下手術でなく肉眼手術であったことが影響している可能性があること、中以下のAVMの手術適応は問題ないにしても、大きなAVMでは手術適応に関しては模索している段階であったこと、大型AVMに関し、『手術しても障害が残るようなAVMは、自然に放置しても出血により悪い経過を残す。だから取る。』という意見と、『手術により症状を悪化させる危険があるから手術しない。』という意見があったこと、この頃の文献には、運動領域のAVMでは、手術直後に麻痺が出てもリハビリにより次第に回復する可能性があると記載している文献が少なくないこと」等の記載がある。

ところで、宮坂助教授や本件手術の執刀医松森医師、別府医師らは本件手術当時、次の①、②の論文記載にみられるとおり、非出血性AVMでも原則的に全摘手術をすべきであるが、直径六センチメートル以上の大型AVMについては手術適応の決定を慎重にすべきであるとの立場を採用していたとみられる。

① 昭和五五年(一九八〇年)・宮坂佳男ら「脳動静脈奇形に対する手術適応の再検討」(第三九回日本脳神経外科学会総会講演抄録集・一三〇頁)(甲一四)

「マイクロサージェリーの普及に伴い、AVMの手術適応が拡大されつつある。我々は特に非出血性AVMの手術適応の再検討を目的として三一例の全摘例について手術成績の対比検討を行った…。非出血性AVMの手術例は一二例で、大きさは小(二cm未満)三例、中(二~六cm)六例、大(六cm以上)三例であった(注・この大AVM三例は、甲一六及び弁論の全趣旨から、甲一六の論文九九〇頁に記載されている症例9、11、12を指すものと認められる。)。…非出血群の成績不良例は大AVM例であった。…小AVMは血腫を形成しやすく、可及的に除去しても機能障害は残存する。また小中AVMでは臨床的に非出血性と思われても、組織学的検索を行うと、silent hemorrhageが高率に見られる。一方このような大きさのAVMの手術成績は非出血性といえども良好である。したがって小中AVMは、血腫形成を未然に防ぐために、非出血性でも部位を考慮して積極的に手術すべきである。しかし大AVMの手術適応の決定は慎重にすべきである。」

② 昭和五七年(一九八二年・一月二五日受稿)・宮坂佳男・松森邦昭・別府俊男ら「脳動脈奇形例におけるsilent hemorrhageの臨床病理学的検討とその臨床的意義」(Neurol Med Chir(Tokyo)二二・一九八二・九八九頁)(甲一六)

「AVMの自然経過は比較的良好であるとの理由から、従来非出血性AVMの手術適応に関して消極論の多い傾向があった。しかしながら、AVMの初回出血によるmortalityは六~一〇%、…severeなmorbidityは一一~二五%と言われている。また、あらゆる症状にて発症したAVM症例の保存的療法の結果を集計してみると、追跡期間(平均一二年)中のmortalityは平均一六・〇%(三・八~二三%)、severeな神経脱落症状を有する者は平均一五・六%(七・八~二七%)である。したがって、AVMの自然経過は予期したほど良好ではないと考えざるをえない。また今回の検討を含めて、臨床的に非出血性と考えられるAVM症例で潜在的に出血している症例は、かなり高頻度に存在することが明らかである。このようなsilent hemorrhageを有するAVM例も、保存的療法を適応すると、上記のような自然経過をたどる可能性が十分に考えられる。しかも、今回の検討ではsilent hemorrhageの存在を術前に確実に診断することは現時点では困難であった。以上の理由から、AVMの手術適応を臨床的な出血の有無で決定し、非出血性AVMということでただちに手術適応から除外する考えは疑問視されなければならない。」

しかし、同時に同論文では、昭和五七年一月から遡る過去八年間に北里大学病院及び国立相模原病院で全剔術を行った非出血性AVMの手術例一六例の内、大きさ小、中以下のAVMの手術例一二例はいずれも症状全快の結果となったのに対し、大型AVMの手術例四例については手術の結果死亡二例(ケース9、12)、部分的麻痺を残したもの(parrly disabled but working)二例(ケース11、15)であったことから、「AVMの大きさは、初期の段階で手術適応の基準としてあまり問題としなかった。しかし、直径六cm以上の大型AVM四例の手術成績は満足すべき結果とは言えず、非出血性AVMの手術適応は小、中AVMにあると考える。大AVMの手術成績が良くない原因を分析してみると、大AVMではナイダスとフィーダー(動脈)、ドレイナー(静脈)の相互関係がより複雑化し、手術操作の難易度の増すことが挙げられる。また、大AVM四例中二例(ケース11、12)の手術成績を悪化させる直接の原因となったのは、術後の脳内血腫であった。この出血は、純然たる手術操作上の問題のほかに、大AVM摘出後の脳血流動態の変化に伴う、ナイダス周囲脳組織のhypermia(血流増加)に起因する可能性も否定できない。」としている。なお、乙二一の一、二によれば、右宮坂らの甲一六の論文においてケース15として紹介されているのは、本件の健二の手術例であることが認められる。

③ 昭和六一年(一九八六年)・宮坂佳男ら「大脳半球AVMの手術成績―特に、非出血性の大脳半球AVMに対する摘出術の可能性について―」(日本脳卒中学会機関誌「脳卒中」第八巻一五〇頁)(乙二五の七)

「AVMの自然経過は脳動脈瘤と比較した場合、良好であるとの理由から、その手術適応に関して一定した見解は得られていない。しかし、AVMの保存的療法の成績は報告者によってかなり異なり、更にその成績はかならずしも良好とは言えないため、我々は積極的に摘出術を施行してきた。」「即ち、AVMの保存的療法の成績はmortalityが平均一五・〇%(六~二二・九%)、severeなmorbidityは平均一八・五%(九~二五%)である。これらの成績は、各報告者により、かなり異なっていることに注目すべきであり、これには追跡期間、施設によるAVMの母集団の相違が関与していると思われる。いずれにしても、AVMの保存的療法は不確実である。またケイレン発作ないしはsteal現象で発症し、臨床的に非出血性のAVMと診断された症例の中には手術あるいは組織学的検索によっていわゆるsilent hemorrhageが高率に認められることから、我々は大出血の防止を目的として積極的に摘出術を施行してきた。その結果大脳半球AVMの手術施行率は九二・四%と高率であった。このように大脳半球AVMの大多数に手術適応があると判断し(摘出術を)施行してきた(中略)。」「菊池は…ラージAVM(直径五cm以上)の手術成績は五cm未満に対して不良であるため、特に非出血性のラージAVMに対する手術適応の決定は慎重にすべきであることを強調している。我々のラージAVMに対する摘出術の成績も良好とは言えず、社会復帰率は約四三%であった。その究極的な増悪因子は残存AVMに起因する術後の脳内血腫が主体であった。術中の脳血管撮影による小さな残存AVMの確認はかならずしも可能ではない。またラージAVMが脳内血腫を形成し、神経脱落症状を呈することは少ないことを考慮すると、非出血性の大脳半球AVMに対する手術適応の決定及び摘出術は後述するAVMのサイズ以外の因子も考慮して慎重に成されるべきである。」

4  その後の状況については、次の文献がある。

(一) 昭和六三年(一九八八年)・端和夫「脳動静脈奇形摘出術の現状と問題点」(日本医事新報・三三六六号・八頁)(甲四五)

「我が国におけるAVMの摘出術の歴史はさほど古いものではない。当初は摘出術は血腫を伴った小型のものに限られていたようで、一九六一年に清水は四一例に手術を行ったことを述べているが、全摘出は二例にすぎない。…我が国の脳神経外科医の治療方針の大勢が摘出術に向かうのはその後のマイクロサージェリーの普及の後となったように思われる。一九七〇年代に入ると摘出症例は次第に増加し、手術手技や適応に関する論文も二、三発表されている。…一九七五年に川淵により脳卒中の外科研究会で摘出困難なAVMがテーマとして取り上げられ、部位的に摘出が困難とされている脳室壁近傍、脳梁、小脳などの病変の多くの摘出例が報告された。

…このように一九七〇年代の中頃には唯一の根治的治療法としての摘出例の重要性はほぼ一般的に認識され、到達が難しい場所や機能的に重要な部位のものも摘出できるようになってきた。ところが、今一つの障害、すなわちAVMの大きさが、非常に重要な問題を含んでいることがその後明らかになってくる。一九七〇年代の終わり頃から大型のAVMを摘出した時に、予想を越えた異常出血が起こったり、周囲の脳組織の腫張が起こったりし、また、術後の出血も高頻度に起こることが注目され始めた。一九七九年にドレークはそれまでの一六六例の手術の結果を発表したが、その中で、大型の病変一三例中四例にこのような合併症を来したと記し、これをAVシャントを堰き止めた時のsump effect(水たまり効果)によるとした。同年、ミューランらはやはり大型例の摘出術中に著明な脳腫張をみたり出血を来した例三例を報告し、ウイルソンらも術中に激しい出血をみた例を報告した。この現象に関してスペッツラーらは、ネコの頸部にAVシャントを作る実験モデルを用いて検討し、これがAVシャントの存在による周囲組織の脳虚血状態と関係があると推論した。…このような合併症以外にも大型病変の摘出には多くの困難があり、その手術成績が良くないことは…どのシリレズにも共通することである。…一九八六年、スペッツラーらは病変の大きさを加味した手術の危険度を表すグレーディングを提唱した。大きさを三cm以下、三~六cm、六cm以上の三段階に分け、それぞれ一、二、三点とし、それに機能的に重要な部分にあるか否かで一点、深部静脈が関与しているか否かで一点を加えることとし、合計が最高五点になるというものであるが、大きさに三点が配点され、いかにそれが手術の危険度に大きな影響を及ぼすかが示されている。」

(二) 昭和六三年(一九八八年)・落合慈之「AVMの手術適応」(高倉公朋監修「脳・脊髄動静脈奇形の治療」一頁)(甲三六の三)

「現在では、比較的若年者で、大きさが中程度以下で、eloquent brainにかからないAVMを外科的に治療することに反対する者はないと思われる。毎年二~三%は出血を生じるかもしれない危険に比べれば、手術に伴う危険は、よほど特殊な事情がない限り無視しうるからである。しかし、今日といえども、深部のAVMや著しく巨大なAVMをこれと同列に考えることは早計である。AVM手術の安全性が進歩しただけに、却て各症例の手術に伴う危険については益々厳密な吟味が必要なのが実情である。」「AVM手術の先駆者の一人であり、AVM治療の原則はナイダスの摘出術であるとしたOlivecronaが、(1)基底核や内包のAVM、(2)優位半球の大きなAVM、(3)前脈絡動脈の関与するAVM、(4)主症状がてんかんのAVM、(5)運動領や小脳のAVMのうち大きさや局在が不適当なもの、には手術の適応がないと述べたのは三〇年近く前のことである。その後に幾多の例外はあるものの、AVM手術が進歩した今日でも、この原則は概ね不変といって過言ではない。この原則を踏まえつつ、症例の年齢、職業、症状などを吟味し、術者の経験や技量も十分考慮した上で、(1)ナイダスが小さい場合、(2)血腫やグリオーシスがあり、ナイダス切離のための操作が比較的容易と思われる場合、(3)既にある程度の神経症状が顕在する場合、(4)局在は深部でも、比較的安全な到達路を工夫しうる場合、などは、適宜、適応の拡大を図るというのが、今日の標準的考え方と思われる。」

5  当審で提出された札幌医科大学脳神経外科教授端和夫作成の鑑定意見書(端鑑定意見書。乙二九)、同補充意見書(乙三一)は、健二のAVMの本件手術当時の医療水準からみた手術適応等について、大要次のように述べている。

「脳AVMの手術に関しては、顕微鏡下手術(マイクロサージェリー)の発展により、昭和五〇年頃よりそれまで摘出が困難と考えられていた部位のマイクロサージェリーによる摘出成功例が相次いで報告され始めた。昭和五四年にはカナダの高名な脳神経外科医C・ドレークの一六六例の手術結果が報告されて、脳AVMの周囲にはもはや機能していない脳組織が存在するため、手術操作がその組織にとどまる限り、脳AVMの安全な摘出の可能性があることを述べた。この論文はその後の脳AVMの治療方針に大きな影響を与え、世界的に脳AVMに対する積極的な手術の機運を醸し出した。しかし、彼はその論文の中で一三例の大型AVMのうち四例が、手術中の脳の腫張や出血により症状の悪化を来したことを述べ、大型の病変では単に摘出範囲が広いということ以外に、手術により予期せぬ血行動態の変化(「水たまり効果」)があり得ることに注意を喚起した。本件AVMの手術が行われた昭和五六年当時は、したがって脳AVMの摘出の可能性の期待が高まりつつあった時期である。」

「現在までの知見を基に本件患者の手術適応について考察すると、本件患者の自然経過の推定に関しては、大型で出血の病歴がないという特殊性を考慮すると、昭和六一年のクロフォードの報告(ラージAVMを含む二一七例の症例の二〇年間の自然経過観察結果では、非出血例で出血は三三パーセント、死亡は二八パーセント、神経学的脱落症状は二七パーセントというもの。)並びに昭和六三年のブラウンらの報告(一六八例の非出血性AVMの約八年の経過観察結果、病変の大きさに関係なく、その後の出血の確率は年率二・二五パーセント、出血による死亡は二九パーセント、生存者の後遺症の確率は二三パーセントというもの。)が参考となる。…これらを参考に判断すれば、本件患者では将来の出血は年率約二%で起こり、出血した場合には約半数が死亡あるいは後遺症を来し、これらを含めて死亡、神経学的後遺症(本件患者の場合は、左半身運動感覚障害の可能性)は、それぞれ年率約一・五%程度と推定される。…一方、我が国で昭和五八年に落合(注・東京大学医学部脳神経外科)によって発表された四九例の平均約一四年の経過観察では、てんかんで発症した中・大型グループ三八例のその後の出血の確率は極めて低かったという(注・乙三〇の一三、甲三六の二)。しかし、症例数が少なく…海外の知見とも一致していない。

一方、手術に関しては、…本件AVMはナイダスの最大径が六cmを超え、運動、知覚領域を占め、深部は脳梁に至るもので、昭和六一年のスペッツラー・マーチン(による)手術危険度によれば、最大危険度である第Ⅴ度に分類される。…本件患者のAVMは、血管撮影上の境界が不明瞭でこれは摘出を難しくする要因とされている。一般にスペッツラー・マーチン(による)第Ⅴ度の症例の手術は、段階的手術の採用など高度な専門的配慮の下に行われなければ成功の可能性は少なく、世界の代表的な脳神経外科施設からの発表を参照しても、一、二%の死亡と約三〇%の症例で手術による後遺症の発生の危険が想定される。…脳AVMの摘出に関し特に専門的な技術を持たない脳神経外科施設では第Ⅴ度の症例の手術は更に大きな危険と不完全摘出に終わる可能性があり、その程度は施設ならびに手術を担当するチームの技術に影響される。以上より第Ⅴ度の患者の手術成績は、文献上に発表されている数値の上では自然経過と比較して劣ってはいないものの、それらは高度の専門的技術の裏付けの下にはじめて可能となった数値(であって、)単純な比較により手術適応を判定することは現実的ではない。」

「現在の知識をもってすれば、…本件AVMはスペッツラー・マーチンの尺度の第Ⅴ度に分類され、手術の危険の高い症例で、その摘出には高度な専門的配慮が必要であることが判別されるが、昭和五六年当時には大型AVMの摘出による血流動態の変化の危険についてはすでに文献上は指摘はされていたものの、術中、術後の出血の原因としては病変の取り残しや不適切な手術操作の可能性がより重要視されていたように思われる。スペッツラー・マーチンにより大型AVMの手術の危険が具体的尺度として発表されたのは一九八六年(昭和六一年)であり、血流動態の急激な変化を回避すべく段階的な脳動静脈短絡の閉鎖を提唱した論文はさらにその翌年の報告であり、大型AVMの危険の認識はそのころから一般的になったと思われる。」

6  まとめ

以上を通観すると、次のように要約できよう。

昭和四五年(一九七〇年)ころまでは、我が国においてAVMの摘出は、一般的療法とはいえない状態にあった。昭和五〇年(一九七五年)頃以降顕微鏡下手術(マイクロサージェリー)等の手術技術の進歩により、AVMの根治的治療法としての外科手術の重要性、適応性が一般的に認識されるようになった。特に、昭和五四年にはC・ドレークの一六六例の手術結果が報告されて、AVMの周囲にはもはや機能していない脳組織が存在するため、手術操作が可能であるとの認識が広まり、それまで手術困難とされてきた部位、状態のAVMについても手術適応の拡大の期待が高まる機運が生じた。そこで、この頃は、AVMの治療法の選択(保存的療法によるか摘出手術を行うか)については、AVMの状態(大きさ、位置等)と症状経過などからみた個々の脳神経外科医の判断に委ねられる部分が大きかった。しかし、この頃においてもAVMは脳動脈瘤等と比べると出血の確率は低く予後も良好であるから、外科的療法の適応判断は慎重であるべきで、特に非出血性のAVMについては、手術により取り返しのつかない新たな神経脱落症状を招かないという場合にのみ慎重に手術適応を考えるべきであるという立場は有力にあった。本件病院の医師らは、臨床的には非出血性のAVMであっても手術あるいは組織学的検索によっていわゆるsilent hemorrhage(潜在性出血)が高率に認められるとして、非出血性のAVMでも大出血の防止を目的として積極的に摘出術を施行する立場を採用していた。しかし、本件手術に立ち会った宮坂医師らは昭和五五年の日本脳神経外科学会総会の講演において、また宮坂医師や本件手術を執刀した松森医師、別府医師らを含むグループは昭和五七年一月の論文において、それまでの非出血性AVMの手術成績を検討し、小・中型AVM手術の成績は良好であったが、直径六センチメートル以上の大AVMについてはいずれも手術成績が悪かったことから大型AVMの手術適応は慎重に考えるべきであるとの発表もしていた。また、従前からAVM摘出術については摘出手術操作上必然的に発生する出血やAVMの取残し部分からの出血による血腫等の危険性の認識はされていたが、この頃から大型AVMの摘出に特有の危険要因として、NPPB現象など血流動態の変化による出血や脳膨張等の危険の認識も広まっていった。そして、いずれの研究者の発表においても非出血性の大型AVMの手術成績結果は芳しくなく、昭和六一年には、宮坂助教授らは、非出血性の大型脳AVMに関しては、直径五センチメートル未満の大脳半球AVMは、言語領、運動領のAVMを含めて、神経脱落症状を残すことなく全摘出できる可能性が高いが、直径五センチメートル以上の非出血性大型AVMでは手術成績も悪く、その手術適応の決定は慎重になされるべきであるとの発表をしていた。また同じ昭和六一年(一九八六年)にはスペッツラー・マーチンによる、特にナイダスの大きさに大きな比重を持たせた手術の危険度の尺度(グレード)が発表された。このようなことから、今日では、非出血性の大型脳AVMは、特にスペッツラー・マーチンの第Ⅴ度に属するような難易度の高い症例では、手術適応の判断は特に慎重であるべきであることが要請されているというのが脳神経外科臨床医の標準的認識といい得る。

7  以上に基づく判断

右認定事実によれば、今日的観点からすれば、健二のAVMは非出血性の大型AVMであり、その大きさと部位等からスペッツラーらの分類に係る手術の危険度からいうと最も危険な手術に当たる第Ⅴ度に属し、ナイダス摘出の過程での周辺脳実質の損傷や血流動態の変化による出血や脳腫張等から、麻痺や知覚障害等の後遺症が発現することがかなりの確度で予想される危険性を有していたものといえる(しかも、本件病院の担当医師らも、NPPB現象などがいまだ一般に認識されていなかったと認められる本件手術当時においても、昭和五五年ころまでの非出血性AVMの手術成績に照らし、中型以下のAVM摘出術は何らの神経脱落症状も残さず成功する率は高いが、大型AVMの手術はかなりの確度で患者の死亡や後遺症として重い機能障害をもたらす危険性があることを認識していたものと認められる。このことは、甲一四や甲一六の論文記載や、前記のとおり本件手術の前日に、松森医師が被控訴人佐惠子に対し、わざわざ「本件手術によって上下肢等に麻痺を残す可能性が高いと思えるので、自分としては本件手術の実施には気が重い。」旨を述べていることで裏打ちされているといえる。)。この意味において、別府医師らが昭和五六年四月二八日に左上下肢筋強剛、足関節の運動制限の他覚的神経障害の事実と、当時のこれらの症状の進行状況から小出血を疑ったとしてもいわゆるsilent hemorrhageの存在を事前に確実に診断することは困難であった(甲一六の九九三頁)こと、さらにはそれまでの北里大学や国立相模原病院で施行された直径六センチメートル以上の非出血性大AVM三例の手術成績はいずれも不良であって、昭和五五年には宮坂医師らは非出血性ラージAVMの手術適応は慎重に考えられるべきであるとの学会発表をしていることに照らすと、本件病院の担当医師らの健二のAVMの手術適応があるとした判断には、全く問題がなかったとは言い切れないものがある(これまでの健二の病歴、昭和五〇年代前半から五六年にかけて症状が漸次他覚的な運動障害、知覚障害へと進行していったと認められることを考慮に入れても、右判断を左右しない。)。

しかしながら、健二のAVMのような非出血性AVMを自然経過に委ねた場合の予後の評価については、今日でこそ出血死亡ないし重篤な後遺症が発現する確率は年一・五パーセント程度と見込まれるとする有力な研究結果が発表されているが、本件手術当時(昭和五六年)は、予後を良好とみる立場が有力であったとはいうものの、確定した調査結果がなく不良とする立場もあったところ、いずれにせよ健常人と比べればそれ自体重大な健康上の危険を孕んだ状態であり、この危険を回避するために治療法を模索することは担当医師としては自然な態度である。しかも、前記のように、昭和五〇年代始め頃から顕微鏡下手術(マイクロサージェリー)の導入等による医療技術の進歩とC・ドレークら外国学者の研究(AVMの周囲はもはや機能を失った脳組織に囲まれており、その層に沿って手術を行えば脳幹部の内部の病変を除いては完全な摘出が出来る可能性を述べた。)が発表されて、本件手術が行われた昭和五〇年代中頃は、世界的に手術適応拡大の機運を生じていた時期であり、AVMの手術についてはナイダス摘出過程における出血やAVMの取り残し部分からの出血に伴う血腫などの危険の認識はあったが、NPPB現象など大型AVM手術に特に伴う血流動態の変化による出血や脳膨張などの危険因子の認識は一般化していたとはいえず、脳神経外科の臨床の現場では、大型AVMの手術成績が悪い原因は、ナイダスと導入動脈、導出静脈の相互関係がより複雑化し手術操作の難度が増すことに主因があるとみていたことが窺われるのである。このような状況の下で、本件担当医らとしては、健二のAVMについて小出血を疑い、大型AVM手術である以上相当の危険は認識しつつも、AVMの周囲の組織はグリオーシス化していると予想し、大型AVMに伴う手術の困難は手術操作の熟練や技法の向上により克服し得る余地があり、摘出に当たり健康な脳組織を不必要に傷付けることはなく、しかも、仮に手術による麻痺などの症状が出たとしても、健二の年齢などからリハビリによる回復の可能性が高いと期待して手術を選択したものであると認められる。そして、本件手術が行われた昭和五六年当時においては、非出血性AVMの療法の選択(保存的療法によるか外科的療法によるか)は、AVMの状態、部位、患者の症歴、症候等に基づく個々の脳神経外科医の個別的判断に委ねられていた部分がかなり大きかったことが窺われ、本件病院の担当医師らの前記判断も当時の医療水準からみて不合理なものとまではいうことはできず、非出血性AVM一般について根治的治療として摘出を積極的に考慮するという立場もあり得たと認められる以上、本件手術も治療法の一つの選択として是認できないではなく、誤りであったとまでいうことはできないというべきである(結果的に、本件手術のナイダス摘出の過程で周囲の脳組織の損傷が生じ、その際の出血や血流動態変化に伴う周囲の脳出血、脳膨張も生じた結果、健二の左半身に麻痺が残り、本件病院の医師らが期待したリハビリによる回復も成功しない結果となったが、このことを考慮しても、右判断を左右するものではない。)。

したがって、争点1に関する被控訴人らの主張は理由がない。

三  争点2(本件手術に際して、手術前検査が十分であったか否か。)について

《証拠省略》によれば、本件病院の担当医師らは、本件手術に当たり、健二のAVMについて、その位置、形状、大きさ、導入動脈及び導出静脈の位置や数等について十分把握していたものと認められる。したがって、本件手術の実施に関して、十分な検査がされていなかったとする被控訴人らの主張は採用することができない。

四  争点3(本件手術に際して、健二や被控訴人らに対して手術の必要性、危険性等について十分な説明がなされていたかどうか。)について

1  脳AVMのように、保存的療法によるか外科的療法によるか優劣に議論があり、しかも手術により死亡もしくは重大な後遺症の発現する可能性が無視し得ない程度に存在するという場合には、医師において、患者の病状、手術の内容と危険性、保存的療法と手術の得失等について、患者が手術によるか保存的療法によるかを自由かつ真摯に選択できるよう説明をする義務があることはいうまでもなく、とりわけ医師の側において当該施設における同種症例の手術結果について一定の経験と知見を有している場合には、単に手術の危険性について抽象的、一般的な説明に止まることなく、適宜それらの手術実績に基づく知見をも情報として示すなどし、患者が当時における保存的療法と外科的療法双方の予後、危険性等について適切な比較検討をなし得るため、十分な具体的説明を行うべき義務があるというべきである。

2  これを本件についてみるに、前記「一 本件手術に至る経緯について」に認定の事実(原判決書三三頁一一行目から五一頁二行目までの記載を訂正又は付加の上引用。)と《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

健二は昭和四九年一〇月に東京女子医科大学付属病院においてAVMとの診断を受け、同年一一月以降は、医師の紹介により自宅に近い国立相模原病院の診察を受けるようになった。当時の健二の症候は、いわゆる盗血(スティール)現象による片麻痺発作が主体で、出血を疑わせる症状もなく、年齢も六歳であったことから、手術によることなく、投薬による保存的療法を行い、経過観察を続けることになり、その後昭和五五年末まで約六年余り、概ね月一回の割合で相模原病院で外来診療を受けた。健二の症状は、当初は盗血現象による片麻痺発作が主体であったが、次第に痙攣発作、左上下肢の知覚低下や運動麻痺などの神経症状が時折みられるようになった。そこで、健二のAVMの状態を把握し、その後の治療方針を立てる目的で、脳血管の写真撮影を受けることになり、昭和五六年一月五日から九日まで入院し、CT検査、右逆行性橈骨動脈撮影(PAG)、右頸動脈撮影(CAG)、脳波検査等を受けたところ、ナイダス及び導入動脈が、東京女子医科大学病院における脳血管撮影時の状態に比べ、大きくなっていることが確認された。担当の別府医師や松森医師らは、健二の症状はナイダスの成長等による周囲の健常な運動領、知覚領の機能に対する直接の障害が及んでいるのではないかと疑い、母親の被控訴人佐惠子に対してその後症状の変化又は進行がみられたときには手術を検討した方がよい旨説明して健二を退院させた。その後同年一月二一日(以下の月日の記載は昭和五六年のそれである。)、二月三日、三月三日、四月七日に外来診察を受けたが、従前同様の投薬処方であった。しかし、四月二八日の診察の際には、左足関節の屈曲、伸展制限があり、走ると左踵をくじき易くなったとの報告を受け、別府医師はナイダスの前頭葉運動領に小出血を推定し、従来どおりの投薬による保存的療法では生命の危険もあると考えた。同医師は、健二の症状の経過、年齢、体格のほか、ナイダスの周囲脳組織はグリオーシス化していると想像されるから摘出に伴いナイダス周囲の脳組織を傷付けることがあっても最小限度のもので済む可能性があり、かつリハビリテーションによる回復も期待できるとの判断の下に、被控訴人佐惠子に手術目的での再入院を勧め、五月末に再度入院を予定した。五月二六日健二は手術を前提に第二回目の入院をした。健二のナイダスや導入動脈導出静脈の更に詳しい状態を知るために、五月末から六月五日にかけてルンバール検査、CT検査、左CAGによる脳血管造影撮影等が行われた(これらの検査では出血の事実は確認されていない。)。別府医師は、被控訴人佐惠子又は健二に対し、昭和五六年五月の手術前の検査の前ころから、数回にわたり健二のAVMの状態を説明し、手術の必要性について話し、手術を受けることにより健二の症状が改善されることや薬を飲まなくとも良くなること、他方、手術をしなければ健二の生命の保証はできず、手術によって障害が残る可能性はあるが、開頭しなければどのような状態であるか分からず、リハビリによって改善される見込みがあることなどを説明した(なお、乙一七の記載及び当審における証人大用昌子の証言中には、別府医師が本件手術の前々日の六月八日に、本件病院のドクタールームにおいて、被控訴人らに対し、大変難しい手術で、麻痺が残ることは避けられない等の説明をしたこと、説明の際シャウカステンにレントゲンフィルムのようなものを掛けて説明していたこと、被控訴人らが、手術は不安であるがよろしくお願いしますと頭を下げて挨拶していたこと等をいう部分がある。手術の前々日に別府医師が健二の両親に対し手術の見通しなどについて説明することはあり得ることとはいえ、右大用昌子の証言ないし供述記載は原審においても顕れなかった本件手術後一五年経過した事実に関するものである上、他の証拠(甲三一、原審及び当審の被控訴人相田佐惠子)や認定事実に照らし相容れない事実があり(被控訴人相田洋幸が本件病院を訪れたのは手術当日であること、手術の前々日になってレントゲンフィルム等により説明するのは遅すぎると考えられること、また手術の難しさの説明をしたとの点は、被控訴人佐惠子が手術の前日に楽観的にすぎるとみえたことから、松森医師が注意的に説明した事実とそぐわないこと。)、右の証言及び供述記載における別府医師の説明の内容、態様をそのままに採用することはできない。)。

翌六月九日に被控訴人佐惠子は被控訴人相田洋幸名義の手術承諾書(乙二、二〇七丁)の提出をした。しかし、松森医師は、本件手術に伴いかなりの確度で運動麻痺が生じることが予想されたにもかかわらず、被控訴人佐惠子が手術に対し極めて楽観的な態度であると見えたので、手術前日の六月九日の夕方に被控訴人佐惠子に対し、自分としては本件手術により麻痺が残るのではないかと考えられるので気が重い旨の説明をした。しかし、被控訴人佐惠子は、既に手術承諾書も提出し病院側の手術の体制も準備されていたことから、松森医師の慎重さを感じ取ったものの、翻意することもなく、翌日一〇日に手術が行われた。

被控訴人佐惠子は、別府医師からは、手術の時間について約九時間位かかると説明を受け、輸血の準備としてO型血液の者若干名を待機させることを申し出ており、手術当日は、家族や親戚知人約二〇名が病院に待機した。また、同被控訴人は、昭和四八、九年頃、東京女子医科大学病院では、健二のAVMを手術しても、五分五分で半身不随や植物状態のようになり、死亡する率も高い旨の説明を受けたと供述している。

なお、昭和四九年ころから本件手術が行われる前年の昭和五五年までに、本件手術を担当した別府、松森、宮坂医師らが本件国立相模原病院脳神経外科において、また他の医師らが北里大学において実施した非出血性AVMの全摘例一二例中、直径六センチメートル以上の大型AVMの摘出手術例は三例あったが、その結果は死亡二例、機能障害を残したもの一例で手術成績は全部不良であり、昭和五五年の第三九回日本脳神経外科学会総会の講演で、松森、別府医師を除く宮坂医師らは、非出血性の大型AVMでは手術適応の決定は慎重にすべきである旨発表していた(甲一四)。そして、これらの知見は、宮坂医師、松森医師、別府医師らが昭和五七年(一九八二年)一月二五日に専門誌に寄稿した前記論文(甲一六)末尾において、「本論文の要旨は第三九回日本脳神経外科学会総会(一九八〇年一〇月、金沢)…にて発表した。」と記載していることから、本件手術当時、別府医師、松森医師らも有していたと認められる。

3  以上の事実によれば、もともとAVMの全摘出手術は、人体の最も重要な機能を有する脳の一部を切除するもので、それ自体困難が予想される上に(被控訴人佐惠子も東京女子医大病院では、手術では五分五分で半身不随や植物状態のようになり、死亡する率も高い旨の説明を受けたと述べていることは前記のとおりである。)、健二の場合は五年以上も投薬治療と経過観察を経て、別府医師を含む本件病院の医師からは、手術前の外来診察や検査入院の折に、数次にわたり、ナイダスの成長とそれに伴う症状の説明、概略ながらこのまま自然経過に委ねた場合の予後と、翻って手術した場合の得失(障害の残る可能性もあるが、一方リハビリによる回復の可能性もあることなど)の説明が行われたことが推認される。そして、被控訴人佐惠子は、手術の時間を約九時間位かかると説明を受け、輸血の準備としてO型血液の者若干名を待機させることを申し出、手術当日には家族や親戚知人約二〇名が病院に待機したなどからみて、被控訴人らには手術の重大性や困難性についてはそれなりの認識があったことは明らかであり、これに加えて松森医師は、前記のように六月九日の夕方に補足的に本件手術によりかなりの確度で麻痺が残ると予想されると説明しているのであるから、本件病院の医師らは手術に向けてその危険性等について一定の説明をしたとの見方もなし得ないではない。

しかし、本件病院の担当医師らから被控訴人佐惠子に対し、昭和四九年ころから本件手術が行われる前の昭和五五年までに北里大学病院及び国立相模原病院で施行された健二のAVMに匹敵するような大型非出血性AVMの摘出手術三例についての手術結果(死亡二例、機能障害を残したもの一例)を踏まえた説明や情報提供がされた形跡はない。

また、昭和五六年一月の検査入院の結果ナイダスの成長が確認され、四月二八日の診察の際に、左足関節の屈曲・伸展制限、走ると左踵をくじき易くなったとの報告等から、別府医師はナイダスの前頭葉運動領に潜在性出血(silent hemorrhage)が発生したと推定したものであるが、この推定に根拠がなかったとはいえないとしても、潜在性出血の事前認識は確実なものではないことは本件病院の担当医師らも自認していたことであり(甲一六の九九三頁)、昭和五六年の前後ころとそれ以前と比べて健二のAVMの性質(非出血性)・症状に通常の予測を超えた変化が生じたとは評価できないものがある(右判断は、健二の症候が当初の盗血現象による一過性の麻痺から、徐々に痙攣や知覚障害などの神経症状に進行していったことを考慮しても左右されない。)。したがって、健二のAVMについては、昭和五六年に至ってその症候からすぐにこれを行わなければ生命の危険が迫るといった緊急性があったものとは認めることはできない。

そして、本件手術は、今日でいえばスペッツラーらによる手術難易度の分類に従えば最も困難な第Ⅴ度に属するものであり、本件担当医らも、昭和五五年にはそれまでの非出血性大型AVM三例の手術成績がいずれも不良であったことから、非出血性大型AVMの手術適応の決定は慎重にすべきであるとの知見を有していたものであり、本件手術当時、NPPB現象等の血流動態変化により出血や脳膨張についての危険の認識をまだ明確に有していなかったものの、非出血性大型AVMの摘出手術の困難性については一定の予測をしていたものと認められる(前記のとおり、手術前日に、松森医師が、被控訴人佐惠子に、本件手術では、かなりの確度で麻痺が残ることが考えられるので、自分としては本件手術には気が重いと述べていることは、こうした認識を裏付けるものである。)。

ところで、患者としては、複数の治療法の選択がある場合、必要にして十分な説明を受けた上、安全で確実な治療法の選択をしたいと考えるのは当然であり、このことは、当該患者の生命や今後の生活に大きな影響を及ぼすような重大な選択を必要とする場合には一層当てはまることである。

しかるに、本件病院の担当医師らの被控訴人佐惠子(及び健二)に対する手術の説明は、手術をする理由、手術を行った場合の症状の改善や障害発生の見込みなどについては一定の説明をしているとは認められるものの、抽象的な域に止まり、本人及び家族が最も知りたいと願っていたと推測される情報の提供と説明、すなわち大型AVMの摘出手術適応に関する当時の一般的医学的知見や、自ら経験した本件病院及び提携病院での同種症例の手術成績を踏まえた脳神経外科医としての専門的立場からの情報提供や、本件のような非出血性大型AVMの摘出手術の危険性と予後についての厳しい側面については必ずしも明らかにされず、保存的療法と外科的療法との得失の比較の説明において、その真摯さ、具体性、詳細性の点からして不十分なものがあったと判断せざるを得ない。換言すれば、保存的療法と手術の利害得失、安全性、確実性などについての説明において、患者とその家族の身になって、非出血性AVMの摘出手術の積み重ねから本件病院の担当医師らが獲得していた非出血性大型AVMの摘出手術の知見と評価を適宜織り込むなどして本件手術の危険度等について具体的に説明し、被控訴人らにおいて、それまでに知られていた非出血性AVMの保存的療法の予後に関する各種調査結果等を踏まえた情報を得ていたとすれば、被控訴人らとしては、出血による死亡や重篤な障害を残す危険性を孕みつつも、なお当面は手術を受けず従前の生活を維持しようという選択をすることも十分あり得たとも考えられるのである。別府医師や松森医師の前記のような説明の内容では、医師が患者に負っている治療法の選択のための適切な情報を提供する義務の観点からは、その義務を尽くしたものということはできない(本件手術当時、大型AVMの摘出手術に特有の危険因子としてNPPB現象等の血流動態変化による出血や脳膨張についての認識がまだ一般に普及していなかったとしても、前記認定を左右するものではないことは、これまでの説示から明らかである。また、本件手術の前日に、松森医師が被控訴人相田佐惠子に対し本件手術の困難性、危険性について言及したことは前認定のとおりであるが、既に手術実施に向けての病院側、患者側の態勢が固まった状況の中で、右の程度の言及があったとしても、担当医師の心情の吐露の域を出ず、もとよりこれによって説明義務違反が免責されるものではない。)

そうすると、説明義務違反をいう被控訴人らの主張は理由がある。

五  争点4(被控訴人らの損害)

本件手術に関して、手術適応の判断そのものに過失や債務不履行責任を認めることは困難であり、手術前検査の実施に関する担当医師らの過失責任や債務不履行責任についても同様である。

被控訴人らは、説明義務違反によって健二が被った損害として、本件手術によって健二に生じた障害及びその後の死亡に関する損害を請求している。しかし、手術適応の判断や手術前検査の実施に関し担当医師らに過失責任や債務不履行責任を認めることができない以上、本件手術によって生じた障害(及びその後の死亡の結果)を前提とする損害と控訴人の右説明義務違反の間に相当因果関係があると認めることはできない。

他方、右認定のように、本件病院の担当医師らによる説明義務違反によって、健二は手術の危険性等の点において十分検討し、自らの権利と責任において自己の疾患についての治療法を選択する機会を奪われ、自らの人生を真摯に決定する機会を喪失したことになるのであって、これによって健二の被った精神的損害は重大である。ことに、本件病院の担当医師らは、既に昭和五五年迄に北里大学病院や国立相模原病院で実施された非出血性大型AVM三例の手術成績がいずれも不良であったことから非出血性大型AVMの手術適応の決定は慎重にすべきであるとの知見を自ら得ていながら、被控訴人らに対してはこれらの知見に基づく情報を必ずしも伝えないまま手術の同意をさせたことは、説明義務違反としては程度が重いものがあるといわざるを得ない(前記二3で認定したように、本件病院の担当医師らは、昭和五六年当時、非出血性AVMであってもかなりの確度で潜在性出血(silent hemorrhage)が予測されるとし、マイクロサージェリー等の手術技法の進歩によりそれまで手術困難とされていた部位のAVMについても全摘が可能との趨勢の下に、非出血性AVMにおいても治療法としては手術適応を拡大する立場を採用していたから、被控訴人らに対する説明のニュアンスとしては保存的療法よりは手術の方を優先させたものであったことは優に推測されるところである。その上、本件病院の医師らは、健二のAVMについては長年にわたる虚血症状や痙攣から周辺脳実質がグリオーシス化して本来の機能を失っている可能性が高く、周辺の脳の代償機能が既に得られ、仮に手術によりナイダス周辺の脳実質を損傷するなどして左半身麻痺が生じても健二が若年であったことからリハビリにより回復の可能性が高いと考えていたものであるが、これらは外国文献等により指摘されていたこととはいえ、実際の病態、程度等については事前の検査等により確実に把握できるものではなく(原審における松森第一回調書六七、六八頁)、本件医師らのそうした見込みは、要するに開頭前の希望的観測の域を出なかった面もあるというべきである。)。

そして、健二は本件手術当時満一三歳の春秋に富む年齢で、それまではほぼ普通の日常生活を送ることができていたこと、本件手術により身体障害者等級第二級の重度障害者となり、日常の起居動作もままならず、手術により生じた左半身麻痺などの障害の重大さは当事者の予測を超えたもので、健二や両親である被控訴人らの精神的苦痛は極めて重大なものがあったと評価されること、一方、本件手術によりナイダスは摘出され、出血による死亡などの危険は回避され、健二は、平成五年八月一日、自宅の風呂に転落して全身火傷により死亡したものの本件手術から約一〇年は存命したことが認められるところ、当裁判所は、これら本件に顕われた一切の事情を考慮して、慰謝料としては、原審の判断と同様、金一六〇〇万円と評価するのが相当であると判断する。

そうすると、被控訴人らの各損害額は、その二分の一である八〇〇万円となる。

六  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過及び認容額等からすると、本件で因果関係の認められる弁護士費用は被控訴人らにつき各一〇〇万円が相当である。

第四結論

そうすると、被控訴人らの請求は、控訴人に対し、本件診療契約の説明義務違反の債務不履行に基づく損害賠償として、それぞれ九〇〇万円と内八〇〇万円に対する本件手術後の平成三年六月一〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。そうすると、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴及び本件附帯控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項本文、六一条、六五条一項本文を、仮執行免脱の宣言につき同法二五九条三項、五項(控訴人は原審において仮執行免脱の宣言を申し立てた。)をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 大島崇志 豊田建夫)

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